2016年初開催から僅か4年という異例のスピードでワールドシリーズ、しかもその世界開幕戦を実現させた立役者、プロトレイルランナーの松永紘明氏にその誕生秘話と想いを語っていただいた。
1980年生まれ、静岡県出身、新潟県在住のプロトレイルランナー。ワールドシリーズ(ヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、アフリカなど)に参戦し数々の世界戦で入賞するアスリート。2006年より新潟県を拠点にアウトドアスポーツイベントの主催・プロデュースを担う『トレイルランナーズ』代表と2足の草鞋を履く。自身の世界での経験を生かし、全国6か所にて年間15大会以上を主催。“人生変わりました”のきっかけ作りをテーマに、3歳から出場できるトレイルランナーズカップから世界戦まで幅広い大会を手掛ける。SNSはもちろんYouTube、ボッドキャストなど映像音声メディアでの発信も精力的に行う。
あれは2010年頃だったと思います。世界一美しく、そして厳しいUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)という事実上の世界選手権で輝くためにトレーニング場所を探していました。フランス・イタリア・スイスと国境を超えながら西ヨーロッパ最高峰モンブランの周りを一周する壮大な大会です。粟ヶ岳は、そのコースに似た斜度や険しさで自宅から車で30分ということもあり、毎日のように通いました。1往復から始め、2往復、3往復、4往復。多いときは12時間かけて6往復しました。最初はトレーニングのためだったのですが、6往復する頃には僕はすっかりこの粟ヶ岳の虜になっていました。同じ山を6往復ですよ。普通はできません。それを可能にしてくれたのはこの粟ヶ岳には、毎回違う顔を見せてくれ、何度でも登りたくなるその魅力に気が付いたのです。世界中の山々を見てきた僕でしたが、この山には、僕が見てきた世界の山々に勝るとも劣らない魅力があると気づいてしまったのです。
新潟県三条市と加茂市の境にまたがる標高1,293mの粟ヶ岳。世界へ誇る米どころ、新潟平野からその頭をみることができます。地元小学校登山で使われることもある麓では馴染みの存在でコースによっては小学生でも楽しめる。粟ヶ岳に登れれば大抵どの山でも登ることができると地元で言われるほどで、アルプスのトレーニング等にも最適な山です。日本三百名山にも数えられ、晴れた日には佐渡島や能登半島まで望める見晴しの良さや景観も魅力。両側の切り立った午ノ背や9合目付近から見える景色は素晴らしく、特に残雪期の迫力は、ヨーロッパアルプスに勝るとも劣りません。初心者向けのハイキングからワールドクラスのコースまで設定できる、ポテンシャルに溢れた名山だと思います。
世界へ挑戦する僕の心身を鍛えてくれた粟ヶ岳。その恩返しがしたいと思うようになりました。「こんなに素晴らしい山なのにみんなが知らないなんておかしい」と、埋もれた宝のように感じたのです。この山に相応しい舞台を用意して世界に発信すべきだというある種、使命感を覚えました。
まずは、三条市や下田郷に住む地元の方々に粟ヶ岳の魅力を再認識してもらう機会を設け、直接語りかけました。世界を見てきた僕が率直に思うこの粟ヶ岳のポテンシャルをぶつけたのです。「みなさんにとっては空気のような当たり前の存在かもしれません。しかしその粟ヶ岳は、世界中の山を見てきた僕にとって、世界の山に勝るとも劣らない素晴らしい名山なんです。将来世界戦を視野に大会を開催させてください」と。
最初はさまざまな反応がありました。そんなことができる訳がないという声もありました。しかし僕は、向かい風を受ければ受けるほど高く舞い上がる凧のように、この向かい風を力に、粟ヶ岳を世界に届けようと決めていました。一つひとつ粘り強く説明を重ねていった結果、『俺が生きているうちに世界戦をやろう』と言ってくれる方が現れました。今では地元の方に“来年はいつやるんだ”と声を掛けていただけるようになりました。
2006年当初から僕は、世界を意識して大会運営を行ってきました。その表れのひとつがロゴです。ロゴデザインはローマ字ながら筆字体を用い、日本らしさを演出。今でも世界中の選手から“SO COOL(カッコイイね)”と言われています。
2018年、本格的に世界戦誘致を実現するために動いていた6月。たまたま選手としてスイスの海外レースから招待を受けました。これはチャンスとスイスに本部を置くワールドシリーズ主催者スカイマンに日本人で初めて直接アポイントを取り付け、レース後、スイスジュネーブ空港で初交渉。その場では日本での世界大会開催を強くアピール。当初は5kmの山道を一気に駆け上がる『バーティカルキロメーターワールドサーキット(VKWC)』を想定していました。しかし、スカイマンから「VKWCでは世界中から選手を集めるのは難しい。20~30km程度のコース『スカイレース』を開催してくれないか。(当時)中国でのワールドシリーズとセットでアジアステージを設け、世界をアジアで幕開けさせたい。そのために日本がどうしても必要なんだ。」と提案を受けました。帰りの飛行機の上でひとり、困惑したのを覚えています。帰国と共にその足で当時の三条市長に会う機会があった時、運命を感じました。そこで覚悟を決め、「市長、スカイレースをしましょう」と提案しました。そこからは、コース開拓やスカイマンとの契約、海外選手の手配やその他交渉事が続く中、自身選手として100マイル参戦に向けたトレーニングを続けるという、それまでの人生の中でいちばん大変な時期でした。しかし何とか乗り越え、異例の速さで2019年、ワールドシリーズ開催が実現。2016年当時、地元に語っていた夢物語『世界戦開催』を有言実行させました。日本トップクラスの過酷さを誇るコースに仕上がり、世界トップ選手からも「ブナの道のジェットコースターのような激しいアップダウンが最高だ!」「残雪のどこまでも続く山々はヨーロッパのようだよ」と高い評価を受けています。世界クラスのコースをいつでも体感できるよう、実際のコースマップも公開しています。実はまだ世界大会で試せていない絶景コースもあるので、今後の開催が楽しみです。
自然の中で行いその恵みを享受するアウトドアスポーツだからこそ、環境への配慮は人一倍行うべきだと考えています。MT. AWA SKYRACEでもSDGsに則りペーパーレス化やごみ問題はもちろん、ジェンダー平等実現などにも取り組んできました。「大会の後に残して良いのは感動だけ」だと考え、持続可能な大会を目指しています。 また、このMT. AWA SKYRACEをきっかけに多くの地元の子どもたちに世界を肌で感じてもらえればと思います。この大会を通じて「本物」を見てもらうことが大事だと考えています。その経験や衝撃は、きっと多くの子たちの心の旋律に触れることになるでしょう。それが、地元を愛する心、誇りに思う心を育てると思います。これが長い目でみた地域活性化になると信じています。「子どもの頃に見たMT. AWA SKYRACEのおかげで僕はプロのアスリートになりました」とか、「粟ヶ岳は素晴らしいところだと気づいたので地元で事業を興しました」というように、次の世代が育っていくようになればと思います。地元の皆さまのおらがまち自慢となるそんな大会に育てていきます。